« 29日は「反貧困フェスタ2008」 | トップページ | 朝生で「新しい貧困とニッポン」 »

2008年4月 7日 (月)

ブログ「がぶり寄り」が幕を閉じる

 このブログでも何度か、引用をさせていただきました、国家公務員一般労働組合のオルグ(専従者)のブログ「がぶり寄り」さんが、「終了宣言」を掲載されていました。

http://kokkoippan.cocolog-nifty.com/gappuri/2008/03/post_3562.html

 私が、このブログの存在の魅力を、大いに知らされたのは、このブログを主催する担当者に原稿をお願いして、そのなかで、ブログに寄せられた非常勤職員の生の声を紹介されていたことがきっかけでした。

 「霞が関・非常勤職員の悩みから出発して」(浅尾大輔)『経済』2006年10月号

 それ以来、このブログを通じて発信される情報に目を配り、そして、今の労働運動の直面している事態の打開の一つの方向を具体化するものとして、注目してきました。

 「個人」の意思の発露としてネット上で運営されるスタイルは、ときに、組織人としての枠組みを踏み出さざるを得ない場合があります。

 このブログでの発信スタイルというのは、組織といっても、最終的には個人対個人の対応である、という矛盾をはらんでいる活動を、ときには包み込み、ときにはかき混ぜながら、苦しみに満ちた労働現場でもがき、脱出のための情報を求めている人に、解決のための「扉」を開け放ち続けてきました。

 この24時間、常に開いている「扉」ということが、とても重要だと思います。

 そして、その活動を、きわめて微妙なバランスをもって成立させているのは、苦しみに直面した個々人を救う、そのためにたたかう、というスタンスだったと思います。

 このブログで、くどいほど、繰り返されたメッセージ--「私は、たたかうあなたを決して見捨てない」、はその端的な決意表明でした。

 そして、労働者の苦しみに接したときに、ブログ子が流す「涙」は、私には、ときには過剰ではないかと感じるくらいでした。しかし、それはとりもなおさず、声を出すこともできずに、苦悩を溜め込んでいる、労働者たちの身代わりになって流しているものだ、ということに気づいたのは、私自身としては、実は最近のことです。

  たとえば、ブログ子が、

  僕が、ともすれば現実の重みによって萎(な)えてしまいそうになるとき、常にサポートしてくれたのは、職場の上司であり同僚であり、他の労働組合の先輩や同世代のオルグのみなさんであり、さらには、さまざまな困難を抱えながらも団体交渉を決意して、たった一人でも会社役員とのたたかいに立ち上がった組合員のみんなの姿なのでした。

 と書いた、この記事などで…。

 「がぶり寄り」の活動は幕を閉じましたが、きっとこのスタイルを引き継ぎ、後に続く者たちが、発信を続けることでしょう。

 私もこれから、それらの、かけがえのない情報発信とパーソナルなパッションの発露を、追っていきたいと思います。まさに、ここからです。

|

« 29日は「反貧困フェスタ2008」 | トップページ | 朝生で「新しい貧困とニッポン」 »

公共事業・公務員」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/166660/40796619

この記事へのトラックバック一覧です: ブログ「がぶり寄り」が幕を閉じる:

« 29日は「反貧困フェスタ2008」 | トップページ | 朝生で「新しい貧困とニッポン」 »