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2008年5月29日 (木)

JAMthe worldで多喜二

今週、J-Waveの夜の番組、「JAM The WORLD」で、今、話題の『蟹工船』の作者・小林多喜二について、連続インタビューで取り上げています。21:25からの「CASE FILE」というインタビュー番組。本日、28日が最終です。

http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/casefile/index.htm

J-Waveの「JAM The WORLD」というインタビュー番組で、

話し手は、女子美術大学芸術学部教授の島村輝さんです。

今、若者たちに支持され、異例の売れ行きをみせています。そこで、今週は「もしも、あなたが蟹工船を知らなかったら・・・」と題して詳しく紹介します。テーマは、

◎『蟹工船』とはどんな物語か?

◎小林多喜二とはどんな人だったのか?

◎ 蟹工船はなぜ今、ヒットしているのか?

番組ホームページに、3回分のお話(ほとんど島村先生のインタビュー内容そのまま)が載っていました。

■『蟹工船』とはどんな物語か?(26日放送分)

 『蟹工船』はプロレタリア作家である小林多喜二の代表作です。
1929年、昭和4年に当時のプロレタリア文学運動の代表的雑誌であった『戦旗(せんき)』という雑誌に連載されたものでした。これは、北海、カムチャッカの海域で蟹の操業を工場と漁船が一体となった蟹工船と呼ばれる船でのお話です。この漁場には、当時の帝国海軍が出兵をしていまして、その援後のもとに操業をするという、そういう状態になっていました。この蟹工船、“博光丸”にたくさんの各地で鉱山の労働者、あるいは、学生を廃業してきたり、季節労働者をやってきたり、こういった人たちが雇われて、そして「国家のための産業だ」という名目のもとに働かされるわけなのだが、非常に過酷な労働をそこで強いられるわけです。命さえも奪われてしまう、そんなような状況の中で、当初はてんでんばらばらに組織性を持たなかった労働者達が次第に、あまりにも過酷な労働のため団結をしていく。そして、最後には、漁夫のサボタージュをきっかけにしてストライキに入るわけです。一旦は、監督たちを窮地に追い込んで成功するかに見えたこのストだったんですけれども、経営者側の通報によって、駆けつけてきた海軍の駆逐艦、そこから乗り込んできた水兵たちによって、いとも簡単に制圧をされてしまう。当初駆逐艦がやってきた時には「俺たち助かった」と涙を流して喜んだ労働者達は、この一件を通じて権力というものの構図を学び、やがて再び戦いに立ちあがって行くと、そういった内容の小説になっています。

1929年にこの小説が出た時にヒットしたというのは、もちろん労働者の厳しさというのもあるのですが、小説自体が持っている表現の凄み、それまでの日本の文学が書いたことのないような表現というものを多喜二が実現したということで、文壇、いわゆる文学者たちの間の評価も非常に高かったわけですね。いきなり「おい、地獄さいくんだで」って始まっちゃう。それで、そこには、例えば「かたつむりが背伸びをしたように海を抱え込んでいる町」だとか、「南京虫のように船と船の間をせわしく縫っている」なんてちょっともう普通じゃないような比喩の表現がいっぱいあって、それから匂いとか音とかを感覚的なものをフル動員させるような表現があって、さらに映画仕立てでシーンが展開していく、そんな構成になっている…。時代を先取りした新しさ、今日までに通じる新しさ、全く時代に先駆けた表現というのを与えた作品だったと思います。

この『蟹工船』は、発売後すぐに出版禁止になりました。小説の中に、船で作る献上品の缶詰の中に石ころを入れておけという表現があり、これが当時、天皇制に対する不敬罪に当たると言われたためです。しかし、『蟹工船』は、独自のルートで多くの人の手に渡り、発売後半年で、異例の3万5000部を売り上げたということです。

■小林多喜二とはどんな人だったのか?(27日放送分)

多喜二は1903年に秋田で生まれました。
その後、北海道の小樽に一家で移住、引っ越しをしていったという一家なんですね。
彼はおじさんの家であるパン屋さんで、そこの手伝いをしながら援助を受けて高等商業学校を卒業しまして、そして北海道拓植銀行という北海道のビジネスを担う金融機関に幹部職員の候補職員として入社しました。
そういう中で彼は中学生高校生の頃から文学に目覚めまして、学生時代から同人雑誌を作ったり、そしてさまざまな文学活動を行っていました。で、彼が銀行に就職した頃、北海道、この小樽の近辺では、小作争議や労働争議というのが盛んにあり、で、彼は銀行員としてそういう葬儀を裏側から見ることになります。
その中で当時盛んであったプロレタリア解放の思想に触れて行き、マルクス主義を勉強するという中で、この蟹工船、あるいはその直前に書かれました初めての普通選挙の後の弾圧を描いた『1928年3月15日』という作品、こういった作品でプロレタリア作家としてブレイクしていきます。

多喜二はプロレタリア文学の代表者ですから、まじめ一方の人と言う風に思われがちだが、彼は、小樽で銀行員をしていたころは、非常に映画が大好きで、洋画、邦画を問わず必ずそれを見ては批評を書いています。そしてカフェに行って友達と遅くまでお酒を飲んでいる…とにかく彼が来るとその場がパッと周りが明るくなるような、そういう一種のオーラを放つようなキャラクターでした。
で、その後、プロレタリア文学を代表する小説家になっていきます。やがて、地下活動に移って最後は1933年、30歳になる前に最後は当時の特高警察という思想取り締まりの警察に逮捕されて、そしてその日のうちに留置所で拷問されて亡くなるという、そういう生涯をたどることになった人です。

■蟹工船はなぜ今、ヒットしているのか?(28日放送分)
底流にある反貧困、反格差社会というものへの共感とそこからなんとか一歩抜け出したい、希望を見出したいという望みが今、多くの人に読まれる状況というのを作り出していると思います。今日では政府自体がワーキングプアの人たち、ネットカフェ難民の実態を調査して、報告しなければならない、つまり、隠せない時代になったということ。そのことが、特に今この小説のリアリティを世間に対して与えている要因ではないかなと思います。

蟹工船の場合はひどい暴力を振るわれると、病気になっても治療してもらえないとか、あるいは、体の具合が悪くて休んでいるとさぼっていると言われ、ぶん殴られる状況が一つあります。今のワーキングプアと言われている人たち、不安定な雇用の中で生活している人たちも直接にぶん殴られるということは、今の世の中だからそうはないかもしれませんが、酷い言葉の暴力、パワーハラスメント、特に女性の場合は、セクハラも含めたいろんな嫌がらせ、そういうものの中で、消耗しています。なので、この酷い労働状況は自分たちにそっくりだ、自分たちの方がもっとひどいかもしれないという共感は多くの人がすると思います。

ただ、『蟹工船』の場合は、それだけでは終わらずに最後にストライキで立ちあがり、一回つぶされても、もう一回立ち上がる。ここは今、現実に立ちあがれる人は少ないと思います。でも、そういう中で、細々ながらも、かなり目に立った形でワーキングプアの人たちの個人で入れる組合や非正規雇用者の人たちと一緒に加入すると交渉に行く組合の活動が表に出てきています。これは、まだまだ小さい活動だと思いますし、『蟹工船』を読んだ人たちがみんなそう思い立ち上がれば、世の中は変わってしまいますし、そうはなかなかいきません。しかし、今までは全くどこに手をつけたらいいのか分からなかった状態の人たちが、その力を頼ってそこから、なんとか抜け出したいというその足掛かりへの希望みたいなものをこの『蟹工船』から得ているのではないかと思います。

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